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つれづれ日記

田野と京都の話−10

長岡天神 編


♪とても寒い夜だった  君の姿が僕には見えなくなって
     開け放した窓の向こうの幸福そうな灯かりを見ていた♪

                         (長岡天神♪より)



  歴史的には、平城京(奈良)から平安京(京都)に都が移る間に、
  長岡京というのを挟んだことがあるのをご存知ですか?短命な都でしたが、
  今も長岡京市という地名に、その名残が残っています。中学を卒業し、
 
 京都に行き始めた頃、京都市の西南、阪急電車の長岡天神駅から徒歩15分に、
 
 友人の父親の会社の寮があり、定宿にしていた事があります。
 
 当時、関西圏のベッドタウンの新興住宅街としての色合いが強かったこの町は、
 
 私鉄沿線の近代的な面と歴史風土の融合した、不思議な空気の町でした。

 
この町は、京都の風情からはかけ離れていますが、町の奥座敷には、
 
かつての都を髣髴させる名所旧跡が結構あります。大宰府に左遷されるとき、
 
菅原道真公が名残を惜しんだという長岡天満宮の広大な敷地には、
 
八条ヶ池を中心に四季折々の花が溢れます。この時はちょうど梅の盛りでした。
 
乙訓寺、長法寺、寂照院等々、いずれも歴史的な逸話の多いお寺群の中で、
 
田野が一番印象深く覚えているのは、町の西外れの山裾にある光明寺。
 
紅葉の時期にはもみじの隠れ名所としても、最近は脚光を浴びているようです。
 
薄暮れの夕方には、寒さで凛とした霊気が漂います。広く妖しげな境内は奥行き深く、
 
修業の寺らしく、多くの僧侶達が長い回廊を寡黙に列を成して渡っていく光景に
 
偶然出くわし、荘厳な雰囲気に圧倒されていたのを今でもよく覚えています。

 
当時はビートルズも解散し、同棲時代という漫画がヒットし、70年代ロックの全盛期。
 
世は学生運動が弾圧され、若者達はエネルギーの矛先を失い、激しさから優しさに
 
若者気質が移っていった時代でした。おりしも国内の音楽も、プロテストフォークから
 
思考錯誤・自問自答に変化していき、ほどなくかぐや姫の神田川が大ヒットします。
 
恋愛と優しさに若者が逃げ込んでいった…若者の街が、新宿西口から
 
原宿へ移っていった時代…田野はそんな風に感じていました。

  
その新しい鉄筋のアパート風の広い部屋に、中学を卒業したばかりの悪友4人で
 
 滞在する…ときめいたもんです。
好きな時に寝起きし、好きな所へ出掛ける。
  うざったい事を言う人間は誰一人としていない。そんな事が自由の実感でしたね。
  コンビニがない時代ながら、食料や飲み物や雑誌やらを買い込むのが楽しかった。
  寒い時期でしたから、駅前の喫茶店で暖を取り、冷えた体が暖まると一気に走り、
  肩をすぼめて背中丸めて部屋へ急いだ線路沿いの帰り道なんかが思い出です。
  部屋に戻ると炬燵に足を突っ込んで、四人四様に過ごしたり、語りを入れたり、
  思い出したように馬鹿話をする…そんな時間が愉快で至福でした。

  
この旅を機に、田野は京都に通う事になりますが、この町にはその後、
  
一度も行けていません。やがて高校に進んだ田野は音楽を始め、
  ただ一曲「長岡天神」という曲を作り、当時のポプコンの地区予選で
  「高校生が作ったにしては艶っぽい…」という批評を頂いた記憶がありますが、
  それ以上でも以下でもありませんでした…。今は恥ずかしくてとても歌えないかな…?

  歴史の中で平城京と平安京の狭間を揺れたこの町…長岡天神は、
  田野にとっては京都の入口…夢や憬れと、現実の暮らしの狭間にある町でした。
 
 でも十代半ばの、まだ青臭い田野が、その後今日まで曲作りをしてくる上で、
  多くの引出しと感性を与えてくれた町だとは言えると思うんです。

                                            おしまい


♪遠くで走る電車の音が 時々ここまで聞こえてきては
何もかもなくして  闇に迷った心の中で
泣いているように響いてた夜・・・(長岡天神♪より)