田野と京都の話ー8
EQUINE編
♪さよならと言い残し 車を走らせて 僕は再び 町の中へ帰る
涙でかすんだ最後の言葉を 幾度も繰り返し 呼んでみながら♪ 「テールランプ♪」より
雨だった。ミッシェルポルナレフが流れていた。
嵯峨野から来ると、仁和寺、竜安寺を過ぎてすぐ、金閣寺の手前に立命館大学の
キャンパスがあり、大学の正門の手前の、丘陵の斜面を上手に利用して建てられた
3F建てのビルは2Fが入口となっていて、そのビルの一階に「EQUINE」はあった。
なんのことはないカフェレストランだったが、ここが妙に気に入っていて、
イノダほどではないが、ボケッとしによく立ち寄った。
三月の後半。底冷えの寒さが少し緩んで、雨は春を運んでくる気配があった。
もう春休みの時期だった。ミッシェルポルナレフの「Holiday♪」が流れていた。
好きな曲だった。大きな窓は立命館大学の木々に覆われている。
その木立ちの合間に微かに透けるキャンパスには、休み中でも
サークル活動であろう学生達の影が見え隠れする。自分も学生だった。
彼等彼女等とは同じ年頃の筈なのに、妙に取り残されたような気分で眺めていた。
雨が止みそうもなかった。
日本語タイトルが「愛の休日♪」とされていた曲=「Holiday♪」は、
雨が似合う曲だと思った。コーヒーをお代わりした。テーブルに突っ伏して、
飽きもせずに窓の外をただ眺めていた。確かに春は近いと、なんの根拠もなく
確信しながら煙草に火を点け、紫色の煙に包まれながら、夕べ京都駅に
送っていった人の事を思い返していた。旅に出る前は知らなかった人が、今は
心のかなりの部分を占めていた。三歳上の、北国の人だった。
よく降る雨だった。曲が変わった。「哀しみの終わる時♪」だ。
カトリーヌドヌーブの映画曲。そう言えばポルナレフはドヌーブに憬れていたと
聞いた事がある。彼が若い頃、既に銀幕のトップスターであった大女優の映画に、
最近トップスターとなった彼は曲を書いたのだ。
憬れを手に入れる事は初めてではなかったが、大切なのはその後だ。
その人は約束のない恋愛に疲れていた。当時の自分には、約束を交せる
裏付けが何もなく、口だけで軽々しい事を言うのも嫌だった。その自信のなさを
見抜かれていた。でもその人は何も責めなかった。それが・・・引っ掛かっていた。
傷付いてもいた。嘘でもいい。約束をしてあげれば良かった?そうかもしれない。
そんな事は承知で騙されてくれるつもりだったのかもしれない。その人には、
先の事より今の実感が大切だったんだ。当時はそれが判らなかった。若いと言えば
若かった。子供だったんだ。ただこの時は、どうしようもない喪失感にただ
打ちひしがれていたんだ。
・・・雨は夕べから降り続いていた。曲が「忘れじのグローリア♪」に代わっていた。
その人が帰らなければならない日を迎えた。結局何も与える事が出来ず、
求めるだけだったような気がする。それでも「送られたい」とその人は言った。
渋滞の中を京都駅まで送っていった。そこから大阪空港まで行き、札幌行の便に
その人は乗るんだろう。「さよなら」と真っ直ぐに見据えて来るその人に
同じ言葉を返し、自分は車を走らせて再び京都の町の中へ帰っていった。
もう夕暮れ時だった。雨はその時から降り出していた。哀しかった。この幾日か、
当り前のように隣にいた人が居なかった。その座席にそっと指を走らせると、
まだその人のぬくもりが微かに残っていた。でも雨が本降りになる頃には、
そのぬくもりも消えていた。虚脱感が体を貫いた。旅を続ける事が辛くなっていた。
一夜明けて・・・「EQUINE」にいた。「愛の物語♪」が流れている。
見え隠れする学生達を眺めていた。雨だった。ミッシェルポルナレフが流れていた。
「EQUINE」のママらしき御婦人が、当時のLPレコードを裏返していた。ママも
ポルナレフが好きらしかった。その仕草が妙に気持ちよかった。もう一度
「Holiday♪」が流れ始めた。それを聴きながら ふと 得たものも与えたものも、
京都にいては判らないような気がした。煙草をもう一本吸うと、席を立った。
明日、東京に帰ろうと思った。サークルの春合宿にも行かなければならない。
自分には自分のフィールドがある・・・。
会計を済まして外に出ると、雨の匂いが「春だな」と感じさせた。
駐車場の向こうのバス停で、学生達の笑う声が聞こえた。
fin.