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田野ユタカのLIVE後記-100
田野ユタカ LIVE '24 秋
“つれづれ独り語り♪”
2024年9月23日(月)
出演:田野ユタカ
【HP開設から100本目のLIVE】 地元阿佐ヶ谷のAcoustic LIVE Bar“harness”さん。 病気手術後に復帰してからお世話になること3回目になります。 思えば高円寺のPenguin HOUSE時代にHPを立ち上げてLIVE後記を書き、 そのHPを立ち上げてくれたT田N美さんに初回のレポートを書いて頂いてから、 振り返ると気が遠くなる程の時間と想い出を重ねて来ました。 90回に差し掛かる手前頃から、仕事では役員になり、千葉に単身赴任し、 コロナに歌う場を奪われ、循環器疾患重症化に伴う手術を宣告され、 100回は気が遠くなる数字に感じていました。 コロナ期間にAlbumを作り、明けてLIVEに復帰出来た途端に 今度は自らの健康上の問題で心臓を手術する事となり、 病院の天井ばかりを眺めていた入院生活の中で、 漠然と「もう人様の前で歌うことは無理なんだろうなぁ」と思っていました。 正直、嬉しいというよりも感無量なんです。そして感謝しかありません。 【この一年】 リハビリを経てLIVEに復帰出来た頃、同時期に肺癌で闘病していた盟友佐藤房夫さんを失いました。 また一緒に飲み歩くぞって励ましてくれた彼の存在は大きかったが、彼の骨を拾う自分がいました。 彼の息子達との交流で、励ますつもりが励まされている自分が滑稽に哀しかった昨年の夏… 今年の夏は敬愛する深野義和さんのお母様が、永年の介護の果てに97歳で大往生されました。 その間深野さんも身体を悪くされ、LIVEに来て戴いたり一緒に飲み歩く事が難しくなっていました。 8月の猛暑の盛りのお見送りは厳かに穏やかにご家族のみで執り行われました。 哀しみはあるものの、やり切ったご家族に優しい時間が流れていました。 だがこの一年は、久し振りにコンスタントにLIVEを組み、歌って来れた。 色んな事があり過ぎて、それでも音楽は傍で皆さんや自分を励ましてくれたんだ。 来て下さるお客様の人生にも本当に色々な事があった。 何もかも昔のままとは行かないものだ。それが伝わってくるし傷みも共有出来る。 そうやって皆さんと励まし励まされ紡いで来た音楽の集いが今回で100回目。 酷暑の夏。暑さ寒さも彼岸までという言葉通りに、東京はこの日から秋の気配になりました。 【構成】 大病からの復帰後は、小さいお店でギター1本での弾き語りの形で歌って来た。 だからこそ、これまでの歴史の中で作った多くの曲達で、LIVEでは中々やる機会のなくなった曲… そんな歌達もふんだんに散りばめて、季節感もしっかり彩る構成で考える。 ~ 一部 ~ ①「嫁ぎ行く君の為に」 これは本当に久し振りだ。数十年前に従姉が結婚する時に作り披露宴で歌った曲。 「やがて来る日々のために」という曲名で作り、LIVE等で歌う時は表記のタイトルにした。 この秋その従姉の娘さんがご成婚される。母から娘へ紡がれる思い… お母様にはサプライズでとの花嫁さんの希望で、よってLIVE後記も披露宴後のupにしました(笑) 更に言うなら亡くなった佐藤房夫さんの次男の準君も、3兄弟最後の結婚式を今秋挙げます。 房夫がまだ健在な頃に彼女を紹介し一緒に写真も撮り、あいつはそれを嬉しそうに俺に話してたんだ。 それから亡くなるまでの辛い怒涛の日々を二人は寄り添い、支え合い、一年喪に服した今秋結婚する。 ②「モノクローム」 サザンの歌にも良く出て来る、今は無い茅ヶ崎Pacific hotelを舞台にした歌。 田野はウインドサーフィンに夢中だった頃、このホテルに実際に泊っている。 貴重な体験。だからバーチャルでも想像でもなく、リアルにPacific hotelの歌である。 ③「夏色のドレスで」 歌い込むほど愛おしくなる曲。「夏色のドレスって何色だろう?」 それは人様によって異なる人様毎の想い出と好きだった人の印象で彩られる色…かな。 ④「京都・紅」 盆地である京都は夏は暑くて蒸す。 7月の祇園祭や8月の大文字の送り火が終わった少し観光客が減った頃の京都の晩夏に、 取り残されたような二人の別れ模様を謳った細やかな物語。 ⑤「月の灯かり」 中秋の名月後のLIVE。ここで歌わずして何時歌うんだって曲(笑)。 この曲、歌の上手な方に歌い紡いで行ってもらえたらなぁと思っています。 ⑥「星祭」~New~ 今回の新曲は星祭=ほしまつり♪ 七夕の事を言うのもあるようだが、それも大いにありだと思うのだが、 田野的には漫画家のますむらひろし先生の作品世界に漂うトーンがイメージの根底にあります。 ブヨ猫のひでよしとアタゴオルの森の物語。ますむら先生の嗜好で少しBeatles音楽も滲む世界観… ⑦「ブルース色の雨に濡れてる」 一部ラストは思い入れの強いこの曲で。年月が経つほど沁みて来る不思議な曲。 声が出てくれている。ホッとしました。 ~ 二部 ~ ①「君の未来を占うならば」 季節が秋にスイッチした頃に歌う曲。占いをやらない自分が占いを歌い、人様を占う(笑)。 ②「あの歌が聞きたい」 6月の東中野「じみへん」LIVE時の新曲。 歌詞が敬愛する深野義和さんの曲のタイトルのみでほぼ構成されている。 つまり深野さん。貴方の曲を貴方の声で、貴方のLIVEで聞きたいという願いの応援歌です。 ③「帰郷」 故佐藤房夫さんと初めてコラボした18歳の夏に作った曲。 LIVEではずっと歌い紡いできた曲だ。よく考えたらスゴい事だな。 鉄道が軽井沢と横川を行き来するのにディーゼル機関車を三連させていた頃の汽車の旅。 ④「Kのバラード」 前述の盟友亡き後、遺作としてリメークし、この一年ずっと歌い紡いできた曲だ。 もはや身体に沁み込んだ感がある。素直ないい曲だ。素直な恋をしてたからな、あいつ。 ⑤Studio R/D (レインドロップステューディオ) 次回吉祥寺LIVEでは全員での大合唱を約束し、この日はお客様参加のリハーサルを兼ねた。 思いよ、届け!伝わってくれるだけでいいんだ! ⑥「啼けない狼」 啼かないんじゃなく、守る者の為に啼けなかった心優しい狼の曲。 サスケさんLIVEゲストでのこの曲の歌唱をきっかけに来て下さったお客様もいた。 もはや代表曲の域に入って来たかもしれないね! ⑦「風に吹かれている」 久し振りのこの曲。20代が終わり、仕事の責任も背負いながら思い悩み、 二刀流を決意して覚悟をもって歩くことを決めるに至った頃に作った曲。 今振り返ればやり切ったなぁ!そして二刀流は今やトレンドワード(笑)だ。 ~アンコール~ ①「危うい舟の舵を取れ」 有海氏と出会った頃、彼の所属していたBand「M・N・S」の原宿CrocodileでのLIVEで 自分をGuestに招いてくれた時にBand LIVE向けに書き下ろした懐かしい曲。 アコギLIVEのencoreとしてはどうかとも思ったが、ギター1本で歌い切ってみた。 サビ部分のリフレインが止まらない(笑) ②「鏡の中の東京タワー」 もう1曲、この曲を歌わせて頂く事でお客様各位の家路への道に明かりを灯します。 何かそんな曲に育ってくれたような気がするんです♪ 【客席】 この日は久し振りに田野が作曲を担当した「高知でのものも」を歌う橘和希さんがご来場。 女優の松下京子さんと再会を喜ぶ客席は明るくて元気なトーン。 自分もそうだが中学生になったKちゃんの成長が毎回楽しみになってきたお客様も多い中、 小学生の部(笑)に新星がLIVEデビューしました♪ 阿佐ヶ谷LIVEでの打ち上げの最近の定番「グラン・マ」のママAさんの娘さんのYちゃんだ。 小学二年生なので長時間は飽きちゃうだろうから、途中で抜けてもいいよと耳打するも、 結構ハマってくれたか大人達と一緒にLIVEを最後まで完走♪母校杉七小の頼もしい後輩(笑)。 11月の吉祥寺曼荼羅でのLIVEでO.A.を務めてくれる甥っ子のまつむらあきひろ氏も客席に。 田野のAlbumを2nd~4thのdesignレイアウトは全て同氏が担ってくれた。 イラストレーターとして自立している彼は、実はLIVEもやっている。二刀流は血か? LIVEで初めて漫画家のますむらひろしさんの話しをしたが、 意外と知ってる方が多いのにビックリ。しかも皆さん揃ってその世界観を好いている。 確か21歳の夏に、高校時代の友人に頼まれてファンの全国オフ会を八ヶ岳高原で企画した。 そして若き日のますむらひろし先生と全国ファンの皆さんと共に高原列車の旅をしている。 それがきっかけで自分もひでよしとアタゴオルの森のファンになり、 学生時代に縁あって通った東北みちのく、銀河鉄道やイーハトーブに傾倒した時期があった。 話してみるもんだね~(笑)。 【アンケート】 今回はまず新曲の「星祭」の世界観に多くのご支持を頂けたのが嬉しかったですね! 「月の灯かり」の世界観も新曲とリンクしてか改めてご支持頂けました。 佐藤房夫の作曲による「帰郷」が四半世紀近い歳月を越えてご支持があり、嬉しい限り… そして「京都・紅」「啼けない狼」「Studio R/D」「あの歌が聞きたい」 encoreの「危うい舟の舵を取れ」もご好評戴けたようです。新旧隔てなく融合してて嬉しい♪ 【所感】 還暦を過ぎてからコロナを含む様々な困難の果てに辿り着いたHP開設後の第100回LIVE。 実際年齢的なものも体調的なものも諸々考えると感無量だし、本当に感謝しかありません。 でも一つの目標でもあった事を思うと、燃え尽き症候群に陥っている自分もあります。 ただ自分にはもう一つ目標にしていた事があります。 師匠であり兄貴分である深野義和さんが最後にLIVEをされた年齢まではやり切りたい… そして11月のLIVEをやり切れば、その年齢と並ぶところまで来ました。 だから次の吉祥寺LIVEのハコはメモリアルとしても老舗の曼荼羅を選びましたし、 準備や節制、リハ積み重ね等においてのモチベーションはガッツリあります。 でもその先の事になると、まだ何も考えられない自分がいる事に気づきました。 スケジュールのブッキングは半年から遅くとも3ヶ月前には決めとかないと… でも行動が出来ませんでした。取りあえず11月はやる!それを深野さんに報告する。 その先は終わってからじっくり考えようかなと思います。 次が最後とも言わないし、思ってもいない。ただ歩みを止めると瞬く間に歌えなくもなる怖さ… どのLIVEも図らずも最後になってしまう可能性は孕んでいる領域に自分はあると自覚しました。 田野の歌を、田野より若い世代の実力者さん達に歌い紡いで行ってもらう事は視野にある。 具体的にそちらの方向に舵を取りながら、危うい舟を操って行こうと…それが今言える精一杯です。 小さいハコでもやはり満員のお客様は嬉しい。期待される事はやはり励みなる。 今は今回のLIVEへの感謝と、次回曼荼羅LIVEへのご期待をお願いして、 100回目のLIVE後記を綴り終えたいと思います。 本当は涙が出る程に感謝と感動を噛みしめている田野です。ありがとうございました(^-^)/ 田野ユタカ |