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田野ユタカのLIVE後記-87
田野ユタカ LIVE '18秋
“輝きつづけて”
於:阿佐ヶ谷“ふくろうスタジオ”
2019年10月13日(日)
出演:田野ユタカ Guest:葵(佐藤房夫)、Azry
【ドキュメンタリー:手風琴マスター】 LIVE開催開場に予定していた巣鴨の手風琴のマスターは、春先に癌の手術をされた事を公表していました。 術後の経過は良く、夏前から店に復帰し、予定していたLIVEを対応しておられました。 その頃「次のLIVEは手風琴さんで…」と決め、マスター共々すっかりそのつもりで準備していました。が、 直前の検診で再発が見つかり、再手術の頃とLIVEがピッタリ重なって行きました。 LIVE直前での会場の消失…当初は愕然としましたが、最優先すべきはマスターの御身体と健康。 マスターは必ず元気になって田野LIVEをリベンジ開催すると、心中お苦しい中で約束をしてくれました。 【ドキュメンタリー:小川尚子さん】 敬愛するシンガー&ソングライターの小川尚子さんとはその巣鴨の手風琴で知り合い、 彼女が杉並でレギュラーLIVEをやっているというので、近いし早々に見に行ったのが、 西荻窪の奇聞屋との出会いでした。諸々の事情があって、 高円寺のペンギンハウスに代わるレギュラーLIVEのハコを探していた頃です。 ご存知の通りその後長きに渡ってお世話になった奇聞屋も、元を辿れば手風琴が紡いでくれたご縁でした。 【ドキュメンタリー:吉川オーナー】 その奇聞屋の山田店長は皆さんよくご存じですが、ブッキングや処遇面で田野を大切にして下さったのは、 自身も音楽家でもあり、オーナーの吉川さんでした。奇聞屋閉店の時に、 「阿佐ヶ谷に小さいスタジオを持っているので、よければいつでも」と、声を掛けては戴いていました。 そのスタジオで夏前に小川尚子さんがLIVEをされるという事で、偶然伺っていました。 かわいいミニホール式スタジオで清潔感も有り、音響もよかったですが、 飲食出来ないのが自分のお客様には難しいかな?田野にも辛いか(笑) 動員もちょっと溢れちゃうかな?場所が解り難いかな?…等々。でも結局これが下見になっており、 すがる様に吉川さんに連絡し、取りあえずの奇跡の直前の代替会場を確保しました。これを可能としたのは、 結局は手風琴から紡がれたご縁とご縁、人と人、そして偶然が重なりあっての事…。 てふマス!これが貴方が永年地道に続けて来られたことの底力です!そこに出入りしていた者に、 いつしか出会いと人脈をもたらせていた…素晴らしい事ですね。どうかゆっくり養生なさって下さいネ! 【ドキュメンタリー:会場変更通知】 会場変更が決まると急いで訂正のお知らせを流さねば…しかしDMは既に出し終えており、 セットリストから何から刷り上がっていました。 ファンの方々全てと個人的なLINEやらFacebookでつながっている訳ではないけれど、 まずMail、LINE、HP変更告知、Facebookでの変更告知、Messenger等、打てる手は全て打ち尽くし、 それでも連絡がつかない方はいらっしゃいます。10数名様にはもう一度DMをお送りしました。 抜け漏れはないか、あっては失礼だから…最期の最後までこれはプレッシャーでした。 ハガキのいい所は、「気が向いたら出掛けるか」「当日まで予定が判らない」みたいな方々に、 返信が不要なので無用なプレッシャーを与えない距離感を保てる事です。 2度もDMを出すのは本意ではなかったですが、結果的に超久しぶりのお客様にこれが有効打でした。 【ドキュメンタリー:大型台風直撃】 一難去ってまた一難。LIVE当日の未明に大型の台風19号が関東甲信越から東北迄を直撃しました。 今田野が仕事をする千葉県では、9月に15号による甚大な被害が広域に出たばかりでした。 交通網が寸断されれば、今度はお客様が来る事が出来ない。 これはもう覚悟を決めました。お客様の安全が第一です。 15号の時は千葉に居て、凄い風台風でした。19号はLIVEに備えて東京に戻ってましたが、凄い雨台風。 朝のTVが各地のショッキングな映像を配信してましたし、寸断された交通網の再開目途は不明の中、 吉川さんはスタジオに来れる事を確認済み。田野は歩いて行ける。 阿佐ヶ谷なら歩いて来れる方も少しいらっしゃるので、お客様が一人でも辿り着いてくれたらLIVEはやる! 腹を括り、妙に落ち着いた心持ちでスタジオ入りしました。 巣鴨なら来れたのに、場所が変わって来れなかった方もいた。逆に阿佐ヶ谷に変わったから来れた方も。 台風で来れなかった方は当然いた。でも台風で仕事が飛んだから来て下さった方もいた。 急な用事。体調不良。諸々の事情がお客様にもあり、交錯する。だからLIVEはいつだって一期一会なんだ。 【ドキュメンタリー:葵の復活】 この日のゲストは旧友“佐藤房夫”さんを迎え、学生時代のユニット“葵”として当時の曲をお届けする企画。 佐藤さんは40年振りのステージ。当時のようにはいかないなりに、かなりの猛リハーサルを積んで来ました。 「あの人は今」風な企画をやる気はなかったです。お金を戴くステージに、仕上がり不十分も想定しました。 しかし彼は、この1週間後に一世一代のステージを務めなければなりませんでした。彼の長男の結婚式でした。 赤ん坊の頃から知ってる佐藤家三兄弟の長男殿のお相手は、神戸の名門学校ご出身の、笑顔の素敵なお嬢さん。 そのお姉様が親族代表で披露宴でオペラを披露されるとの事。佐藤家は…。長男が囁いた。「葵が見たい」 様々な事情の果てに、佐藤さんはまだ幼かった三兄弟を、男手一つで育てて来たんです。 好きな音楽を続ける余裕など全くない中、三人を立派に育て上げた。その親友を田野は身近にずっと見て来た。 やはり父を見て来た長男が葵の復活を見たいと言う・・・田野のおっちゃんが引き受けた!任せろ! 房夫、俺のLIVEに出ろや!荒療治なリハビリだ!俺の本番はこのLIVE!全部責任持つ!君の本番は神戸だ! 恥ずかしくないステージをご披露するぜ!LIVEの1週間後、我々は礼服で(笑)神戸で歌っていました…が、 じつわLIVE前夜、佐藤さんは多摩川堤防決壊警報で避難生活を強いられていました。 仕上げた声も寝不足で嗄らしながら、それでもLIVE会場に駆けつけてくれ、歌ってくれたんです。 【ドキュメンタリー:幻の魂参加“Azry”】 今回のLIVEを組むきっかけは、もう一組のゲストに予定していた二胡とピアノの母娘ユニット“Azry”だ。 お母さんの方とは高円寺時代からLIVEを応援してもらい、かれこれ30年の付き合いになる。 音大生の娘さんは赤ん坊の頃に阿佐ヶ谷の我が家に来た事もある。 彼女達も事情があって今は関東某所で暮らしているが、前向きでポジティブな人柄から母子ユニットを組み、 単独LIVEをやるというので、応援でゲストに出ようとの話しになり、このLIVEの1週間前に田野は柏で歌った。 ゲストでの数曲出演にしても、人様にお金を頂戴して歌う以上はきちんと仕上げて行かないとお客様に失礼だ。 どうせ時間と労力を掛けて仕上げるなら、手風琴のマスターと話していた自分のLIVEをその1週間後に組もう! つまり彼女達がLIVEをやり、ゲストで呼んでくれた事をきっかけに田野はLIVEの日程をこの日に決めたのだ。 柏LIVEの一ヶ月前、娘さんは急病で救急搬送され、手術を受けた。当然LIVEの開催は危ぶまれた。 病気も一過性のものではないらしく、メンタルも心配だった。でも娘さんは気丈にもステージに立った。 柏はすごくいいLIVEになった。コラボ共演もいい感じに仕上がった。よし!今度はこちらのLIVEにゲストで… ところがあの台風。交通網はとにかく近くを流れる川の氾濫警報が出され、彼女達は泣く泣く出演を断念した。 だから田野は思った。Azryの魂は参加していたね。母娘に心から感謝したい。 【ドキュメンタリー:LIVE】 一人でやり切る事は珍しくはないが、Joseさんとでしかやらなかった曲を今回は多く選曲した。 LIVEの模様は、今回はゆみちゃんが既にレポートしてくれているので、遅くなった後記では今更書くまい。 お客様は結果的にこのスタジオを満員にして下さった。ギリギリで立ち見を出さずに済んでくれた。 吉川さんが用意してくれたドリンクが嬉しかったね! 新曲は“Yのララバイ”。深野さんの出してくれた課題の一つ「ララバイ」をクリア。 この“深野課題”がこれまで随分と田野の発想を引き出し、多くの新しい分野を切り開いてくれた。 LIVEは…そこそこに良かったんじゃないだろうか(笑) 【エピソード】 LIVE後は地元なので、馴染みのお店に無理を言って打上げさせて戴いた。 田野のCDの正規代理店(笑)の“ありがた屋とりい”さんで腹ごしらえし、 二件目は“グランマ”さんに無理を言い、スポーツBar風に大型モニターを開放してもらって、 ラグビーのワールドカップを皆で観戦。日本勝った!盛り上がったぁ~♪ 【所感】 LIVE。やれてよかった。ホッとした。 今回はあまりにも色々な事があり過ぎた。 でも↑に書いたように、本当に多くの方の助けと、多くの方の思いが交錯した奇跡のLIVEでした。 その方達への感謝と愛情を感じずにはいられません。 そして何よりも来て下さったお客様お一人お一人に感謝せずにはいられません。 お客様がいなければLIVEは成立しません。 でも、たった一人でもお客様が来て下さったら、そこには紛れもなくLIVEが成立します。 その原点を改めて教えられたLIVEでした。ありがとう(^-^)/ 田野ユタカ |