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田野ユタカのLIVE後記−88


田野ユタカ LIVE '21 冬

“地蔵通りの伝言”


於:巣鴨“手風琴”
2021年12月18日(土)

出演:田野ユタカ



 【故久保田良司マスターとの約束】
 2019年10月。
 以前からのご病気から復帰された巣鴨「手風琴」のマスター久保田さんの快気記念のLIVEを組んでいた。
 しかし直前に病気が転移再発し、マスターは再び手術を受ける事となり、苦悩の連絡を戴いた。
 DMの発送やプログラムの印刷も終わっていたLIVEは迷走したが、
 その手風琴のご縁から長くLIVEを重ねた西荻窪「奇聞屋」のオーナー吉川さんの計らいで、
 阿佐ヶ谷のふくろうスタジオに場所を得て、LIVEは直前の場所変更での開催に向けDMを再送し、
 連絡を取りまくった…のに、LIVE前夜の台風関東直撃により交通網が寸断され、来れない方が続出。
 ゲストのAzryも無念の欠席。それでも田野の歌を聴きに、三々五々揚々に人が集まってくれた。
 過去最も過酷で、最も奇跡のLIVE開催となったのが前回=2019年10月のLIVEだった。
 久保田マスターとはmailで「必ず元気になって、リベンジLIVEをやりましょうネ」と約束を交わし、
 以降連絡は途絶えた。

 あれから2年と2ヶ月。コロナによりLIVE活動は初めての長い迷宮を彷徨った。
 久保田さんは昨年2月、帰らぬ人となった。コロナの為にお別れも出来ぬまま。暫し時が流れた。


 【ギター部有志会議という名の飲み会】
 手風琴は一度閉める事になり、店内の備品や機材等は、三々五々思い入れのある方々に引き取られた。
 しかし周囲の惜しむ声に押され、コロナの沈静化に伴い再開の方向で手探りが始まった。
 40年近い経営と運営へのキャリアと業界の人脈、催しの開催ノウハウを持っていたマスター。
 ご家族にそれを期待するのは酷な話。夫々のフィールドで仕事をされていたとはいえ、
 「手風琴」という独特の空間を運営するノウハウは無いのが大前提。
 経営が圧迫されては本末転倒でもある。

 コロナが下火になった11月初旬。自分を含み、飲みに集まった手風琴ギター部有志殿とママの間で、
 当初は所縁のあるギター部の面々がマスターとお別れが出来るイベントが出来ないかを吟味した。
 しかしコロナがどうなるかもまだ不透明な中で、密が濃厚なイベントはリスクが高い。
 機材だって何があって何が無いのか判らない。音が出せるのかも判らない。
 これまでは全てマスターにお任せしていればよかった前提が、もう無いのである。
 我々は如何にマスターに甘え、助けられていたかを痛感する。そして出した結論は
 「最悪はギター1本の生歌」でいいとし、15名様限定での田野LIVEでの再出発トライだった。


 【ギター部獅子奮迅】
 本当に頭が下がる。原田さん、榎本さん、草間さん。お三人の隠れたご活躍と支えに心底感謝だった。
 マイクが、マイクスタンドが、シールドが、譜面台が、モニターが三人によって持ち寄られ、
 原田さんは真冬なのに汗まみれで唯一残っていたPAの卓への配策に奔走して下さいました。
 配策先をテープに記し連携良く渡していく榎本さん、セッティングと音の出チェックは草間さん。
 そこにはマスターや手風琴への祈りにも近い愛情と感謝が滲んでいた。皆さん専門家でもないのにだ。
 誰も知らない時間帯の、表には出ないこの光景を、この感激を、ここに記さずにはいられません。
 中々音が出ない。焦る4人。開場間際にようやく音が出た。一斉に皆から安堵の笑みが零れた♪
 その音は…とても柔らかくて優しい、温かい音だった。思いのある方々の気持ちが結集したような音。
 手風琴にはこの音が似合う。手作りの音だ。開場前、ささやかなドラマがあの空間にあったんです。
 リハは殆ど出来ず、着替えも出来ぬままに開場時間を迎えた。でもLIVEには間に合った♪
 この2年間、コロナ渦で様々な葛藤を余儀なくされた方も多いだろう。
 でも田野は「マスターとの約束」を果たす為、所縁の3名の有志殿のお陰でこの時を迎えられたんです。

 【2年2ヶ月振りのLIVE】

 「冬が好き」からLIVE in。ギターを奏でるとみるみるあの感覚が蘇る。LIVEだ♪
 Joseさん無しでは初めての「Blue Time Scene」。「Metro」と立て続けに。
 温まって来た(笑)?湿っぽくはならない程度に、故久保田マスターの思い出話をちらほら。
 ここで「鬼灯市」。和のテイストを配すると手風琴の空気がより馴染む気がします。
 「約束」。そして「十二単」。珠玉の選曲・・・のつもりです(^^;
 この後に新曲「むすんでひらいて」をお披露目して一部を終演します。

 二部は十代の頃に京都で作った「しょうこ まい らぶ」で入ります。
 学生時代のユニット「葵」でやっていた曲。京都で出会った3つ上のお姉さんに恋した時の曲。
 今ではレアです。札幌の人でした。客席には当時の相方佐藤房夫さんも顔を見せてくれた。
 手風琴に縁の深い及川恒平さんが作詞し、小室等さん作曲、森山良子さん歌唱の「さようならの世界」。
 カバ−曲も回を重ねると徐々にシンガーとしての田野の曲に進化していく気がします。
 秋の曲「プラタナスの坂道」。「Love Letter」。「京都・紅」と紡いで行きます。
 Joseやん無しで歌った「僕が君に想う事」は、手風琴開店25周年時の労音artコートで歌った曲。
 佳境の曲は「月の灯かり」。ラストバラードに「終曲」を配し、プログラムを終了。
 如何でしたでしょうか?


 【アンコール】
  「背中合わせ」・・・やはり学生時代の葵の曲。
  そしてオーラスは、初めて独りで歌う「St.Silence」・・・深野さんとJoseやんがいないのはツライが、
  作った時は一人で歌った筈。案外と届いてくれたように思えました。外の街はXmas前だもんね♪

  更に原田御大が「アンコール」とお声がけ頂きましたが・・・歌詞譜が・・もう無い・・スンマソン(^^;


 【客席】
 今回はやはり感染予防対策で、15名様Maxのご予約制とせざるを得ませんでした。
 自分のお客様は、「それは是非思い入れ深い方に」と遠慮される人が多い(笑)。
 結局久保田マスター所縁の方々、ずっと応援して下さっている方々、久しぶりの方、初めての方も、
 各々が適度に融合されてピッタリ15名様+手風琴ママ+スタッフ+自分で、全席を埋めて頂きました。
 
 でもこれまでの手風琴LIVEの半数ですが、これくらいの人数の方がお客様が聴くには良い環境なのかな。
 丸椅子に座ると180度後ろを向いてのLIVE鑑賞でキツそうだったし、従来が本当に密でしたからね(笑)。


 【所感】
  正直この歳になると、ちょっと音楽の現場を離れると退化が著しいものでした。
  続けて来たからこそ維持成長出来た部分は大きく、二年以上もコロナで何も出来ず、
  仕事を退任させてもらって、新作albumを作る事にして、歌入れで歌ってみた時、
  愕然とするくらい声が出なかったです。
  日頃お付き合いで行っていたカラオケも、いい発声練習の場だったんだと感じました。
  コロナの間に自分のミュージシャンキャリアが潰えてしまう・・・
  こんな情けない悔いの残る終わり方は無い。でも不安と焦りに苛まれていました。

  レコーディングを重ねて少し声が戻って来た時、今回のLIVEの話が急転直下で決まりました。
  手風琴の仲間である原田さん、榎本さん、草間さんのバックアップはとにかく大きく、
  彼らの動機は故久保田マスターへの感謝と哀悼と敬意、そして田野が故人と交わした約束でした。
  「せめてその約束を果たさせてあげようよ」
  会話でこそそのような話しはしていませんが、温かい思いがしんしんと伝わって来ました。

  マスター!田野は貴方との約束を果たしましたよ!聴いてくれていましたか?
  いつものように笑顔でいてくれましたか?
  お陰で田野はこのフィールドに戻って来る事が出来ました。
  コロナに寸断されたあちこちの縁がまた進化して繋がり始めましたよ!
  貴方との約束のお陰です。そしてそれを支え、可能として下さったのは、
  貴方のご家族と、貴方を愛してやまない手風琴ギター部有志の面々でした。
  結局田野は、死してからも尚貴方のおチカラ添えを戴き、また暫くは歌っていられそうです。
  本当にありがとうございましたm(_ _)m どうか安らかに、でもこれからも見守って下さいネ!

  そしてお越し頂いたお客様。今回は遠くから見守って戴いたお客様。
  本年もよろしくお願いしま〜す(^-^)/


                                 田野ユタカ