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田野ユタカのLIVE後記-93
田野ユタカ LIVE '23 初夏
“つれづれ独り語り2023♪”
2023年6月10日(土)
於:巣鴨“手風琴”
出演:田野ユタカ
【復帰LIVEへの振り返り】 一昨年、コロナ渦に阻まれ続けたLIVE活動を自分はここ手風琴で再開した。 それは3年以上前、まだコロナの前の時期に手風琴のマスターは病魔に襲われ、 手術と闘病を経て一度は復帰して、田野のLIVEを組んではくれたものの、 結局マスターの病気は再発し、そのLIVEが急遽出来なくなるとの経緯があった。 LIVE自体は奇聞屋の吉川オーナーのStudioを急遽お借りして何とか開催したが、 リベンジLIVEを約束し、再び辛い治療に挑んで行ったマスター、 そのまま帰らぬ人となった。当時のLIVE後記にも経緯を書いたが、 コロナ渦で我々はお別れも出来なかった。 その後手風琴はご家族の間で閉める事を一度は決めたが、 各方面からの要望もあり、再開を模索し始めたと聞き、 旧手風琴ギター部の有志の方々とバックアップの相談をした。 機材等も殆ど手放してしまっていた手風琴で、果たしてどれほど機材が戻り、 LIVEが出来るのか否か、ご家族には解らない領域の事だが・・・。 自分がLIVEをやり、手風琴の機材を形見分けされたギター部の方々が 少しずつそれらを持ち寄り、それでも本番でもし何かが起こっても もうマスターはいない・・・ご家族にそれを期待するのは酷だ。 我々で何とかしなければならない・・・リスクの伴うLIVEであった。 しかし本当にギター部有志の方々の親身なサポートとお気持ちによって、 温かい手作りLIVEはコロナ渦で入数制限はあったが盛況の内に終演出来た。 そして手風琴でのLIVE開催が可能である事が立証され、 手風琴は営業を再開し、ポチポチLIVEの企画も聞こえて来るようになっていた。 自分は一昨年に好機を見い出した事もあり、長く務めた仕事を少し早期に退任し、 コロナでLIVEは出来なかったが、悔いのない音楽活動の最終章を彩るべく アルバム制作に没頭した。そして年末には手風琴の応援もあるが、 マスターとの約束も果たすべくこの地でLIVEを敢行したのだ。 翌年は4th Albumの発売に絡め、 3月には大塚"Welcomeback"でJose氏とのユニットを再開。 5月には同所でレコ発LIVEを5年ぶりのBand編成も交えて大盛況の内に開催し、 八ヶ岳"Palm Spring"でも重鎮Band デンプシーロールと共に それこそ満席のお客様にLIVEをご堪能頂いた。 9月には思い入れのある千葉で"詩音"さんでのLIVEを敢行し、 これも大盛況であった。本当に有難い事だった。 しかしこの千葉LIVE後に、経過観察中だった心臓の検査で病気の重症化が判明し、 秋に組んでたLIVEをcancel。11月下旬に心臓の手術を受ける事になったのである。 どこまで回復出来るか解らず、制約ある生活も必至…正直最早ここまでと思った。 麻酔から目が覚めた時は、口や胸やそれこそ身体中から管やら何やらが出ていて、 痰を切りたくて咳をすると苦しく噎せ返った。鏡に映る自分は実に憐れ(笑)だった。 LIVE復帰はこの時は絶望的に感じた。普通の生活に何処まで戻れるかが課題だ。 病院の廊下を1周歩くのもままならず、シャワーも介護的な手助けを必要とした。 術後六ヶ月に渡りリハビリは丹念にこなした。歩けると喜び、坂を昇れると喜び… 退院後しばしば発症した心房細動の発作に苛まれたが、2月に入ると落ち着いた。 カラオケで声を出してみたり…ん?行けるか? 3月、4月…出来なかった事も少しずつ出来るように… 肺に穴も開けていたので心肺機能の回復は中々以前のようには戻らない。 でも…歌ってみたい。夏の盛りは今の体力ではきつい。やるなら6月か。 ここでやらないとこの先ずるずるとLIVEなど出来ないような気もした。 普通LIVEのブッキングは三ヶ月以上は前に行うが、もう4月だった。 今回はそんな事情から手風琴のママに無理をお願いしてLIVEを組んで頂いた。 復帰LIVEはそんな経緯を経て、再び手風琴で一本のギターのみでやる事とした。 【構成】 激しい運動を制限されている身… 季節柄の曲を織り交ぜながら、あまりやる機会の無かった曲達も選曲。 ~ 一部 ~ ①「紫陽花の頃」 懐かしい。切ないが好きな曲だった。 ②「Dear Mermaid」 夏の定番曲。やはり好きな曲だな。 ③「ブルース色の雨に濡れてる」 ああ、やはり好きな曲。まだ少し尖っていた頃の自分が思い出される。 ④「京都・栂ノ尾小径」 学生の頃に京都で書いた曲。40年以上を経て4th Albumに収録した思い入れ深い曲 ⑤「夕暮れ」 元々盟友佐藤房夫さんとユニット葵を組んでいた頃の、やはり学生時代の曲。 卒業後に自分が音楽を続けるにあたり、 いい曲なので長く歌いたいと自分の詞をはめ込んだ。 そういう葵時代の佐藤さんの曲は5~6曲は今でも歌い紡いでいる。 その盟友佐藤房夫さんはこの日会場に来れなかったんだ。 ⑥「千の傷と引き換えても」 やはり好きな曲ながらほとんど披露する機会が無く、お蔵入りしてた曲だ ⑦「China・China・China」 深野義和さんの作詞のお弟子さんの詞に付曲した、やはり4th Album収録曲。 自分の新たなメロディーラインを引き出してもらった思い出深い曲だ。 ⑧「約束」 初夏の頃、この曲を歌わなかった年は無かった。今年も歌えてよかった。 ~ 二部 ~ ①「鬼灯市」 浅草のほおずき市に当時一緒に行った旧友が偶然来てくれていた(笑)。 逢魔が時…という言霊が深いです。 この日は「巣鴨 思ひ出アコースティック」のコーナーを設け、 これまでカバーした曲の中から3曲をセレクトしました。 ②「手紙」 まずは岡林信康さんの反ヘイト曲。 人間の差別意識というのは時代と共に形を変え、残念ながら今の時代にも根強い。 頭や理屈で覚えても心と本能で消化しない限りなくならないのか。 「ヘイトはよくない」と宣っている輩が安っぽい差別意識を持っていたりもする。 在籍した上場企業での中身のない出世ごっこの連中の価値観にも つまらぬヘイトは燻っていた。普段自覚もなく表にも出ないから目立たぬだけで、 漫然とそういう本質を抱える連中が人生勝者面するのが滑稽且つ憐れで仕方ない。 政治家連中や上場企業上層部にも、ヘイトを産み得る稚拙な価値観は漫然と燻り、 そしてそれらは自分も含めた皆さんの中にも燻っているかもしれない事を知ろう。 ③「死んだ男の残した物は」 始まってしまったウクライナ侵攻。そして未だに収束が見えない。 この曲は森山良子さんがよく歌っていた反戦歌。 戦争…それが如何に愚かであるかをこの曲は如実に捉えているように思う。 視野と引き出しの狭い一部の国のリーダーの、 怠慢と傲慢と愚かさを蔑み嘲笑する。取り返しがつかぬ多くの人生が翻弄され、 行き場を失い、憎悪の連鎖が蓄積されて行く。悲しすぎる。 ④「クスノキ」 長崎出身の福山雅治さんの核なき世界への祈りの曲。 歴史に学べ。繰り返すことは許されない核の惨劇。どんな思惑があったにせよ、 広島サミットで世界の首脳達が当該地慰霊した事を否定はしない。 人類は愚かなのか?過去や歴史に学べるのか?正念場。祈るしかない・・・ ⑤「久々野の子守唄」 自分のオリジナルに戻り、飛騨地方を歌った子守唄で平和への祈りを歌う。 ⑥「十二単」 Jose氏のギターとコーラスが欲しくなる代表曲。 ⑦「月の灯かり」 やはり4th Album収録の、新たな代表曲。 ⑧「夢のカタチ」 New 今の心境を語り紡ぐ今回の新曲でラストを締めます。 ~アンコール~ ①「鏡の中の東京タワー」 これも今や代表曲だと思います。今のコンディションだとこの1曲が精一杯。 でもこの一曲で充分なような・・・終わった。やり切れた♪ 【客席】 以前の手風琴LIVEはいつも、よく言えば超満員で、悪く言えば密でした。 前回のコロナ明けLIVEでの人数制限をしての開催を通して気がつきました。 密な会場はお客様にとって音楽を聞く上で決していい環境ではない。 まして自分が年齢を重ねると共にお客様も大人となり、頑張って来た方ばかり。 昔、演者側の誰だったかが言っていました。 「客をギュウギュウに詰め込んで立ち見を出せば、来た人はこのアーティストは凄いと思う」 世代によってはそうなのかもしれないが、違和感の方が勝っていました。 自分がお客だったらそんな窮屈で居心地の悪いLIVEには行きたくないからです。 そこそこ大人で社会的にも認められる立場の方々には、 音楽を楽しめる最低限の寛げる空間は提供したいですね。 SNS等でフォロワーさんを多数有していても、LIVEにあまり人が呼べない方もいる。 逆に薄い関係で知り合いを装われても、他のお客様に距離感や価値観の押し付けを 漫然とされてしまうと、田野のLIVEには合わないね、とご退場願う場合もある。 お客様はお客様なので、頭数ではない。特にお店側には意識して欲しい事ですね。 LIVEをやる上で、お客様席の環境というのは大いに考えます。 「自分が客席にいたならば」との目線。LIVE表現の一部であるとも思います。 「この店なら行こう」「この店だから今回は遠慮しよう」等が実際にあるのです。 今回は人数制限は無かったですが、DMは出しませんでした。 自分の仕上がりにも自信もなく、積極的に来て下さいとも言い難い気もしました。 それでも集ってくれたお客様が密にならぬ程度に客席を粗方埋めて下さいました。 これは今後より大切になって来るなぁ。お客様へのより良い環境作りもLIVEの内… 環境より金銭を優先したり、お客様を「客」と呼ぶハコではLIVEは一切やらない。 お客様の質の高さは田野の自慢です。より良い居心地で音楽を楽しんで下さいね。 【応援してるぜ手風琴】 手風琴はもう大丈夫でしょう。 マスターとの約束も果たせたしやれる支援はやり切った。 徐々に軌道に乗って来てるようなので、 自分が手風琴でLIVEをするのはこれで最後にします。 お客様の目線と出演者の質を大事にしていれば、 利益は自ずとついて来ます。頑張って下さい。 今回は息子さんがLIVE後に、 かつて凋落して行ったハコのオーナー達と似たような事を言ってました。 「お金を払ってでもやらせてくれという演者もいる」。ん?だから? なら、是非彼らと仲良く頑張って下さい。 そもそもPAやセッティングもお客様や出演者に頼って任せて負担を掛け、 Charge料金だけは「1流店並に欲しい」は通らない。 元々LIVEを考えて作ってないハコなのだから、思い上がってもいけない。 有象無象に様々なハコを見て来たのでよく解る。 マスターがその矛盾の全てを越えていたんだ。音楽を愛し人を大切にする事で 徐々に集って来たのが手風琴ギター部の皆さんです。 当り前のように彼らを頼り使っておいて、彼らからも料金を戴く?おかしい。 「引継ぎも何も無く急遽やっている」事をいつまでも言い訳にせず、 ならばLIVEの1流店になればいい。投資も努力も必要だ。 まず足元を見渡してちゃんとしよう。 人を大事に出来ぬのならLIVEなどせず、Snackに集中すべし…って事ですね。 応援はしています。そして故人と空間に対しては「今までありがとう」 「もう年齢的にそろそろ子供達に任せて店を離れたい」と仰っていたママ。 板挟みになっておられるのが判り、心苦しく思っています。 今回の復活LIVEの成功は、貴女のお陰による所が大きいです。 貴女の存在はマスター亡き後に手風琴が復活する上でとても重要でした。 本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。 故人と貴女が残した手風琴が、より良いお店になる事を心より願っています。 【所感】 LIVEがやれた事…来て下さった皆様…励まし応援して下さった皆様… 手風琴ギター部有志の皆様・・・本当にありがとうございました。 途轍もない達成感と同時に超疲労感に襲われ、1週間程廃人のよう(笑)でした。 まさかこの歳で自分が心臓の手術を受けるとは思ってもみませんでしたが、 今は乗り越え、これを書き、次の事を考える自分がいます。 この先そうは長くは出来ませんが、もう少しだけ歌わせて下さいね。 田野は今後は、「出てくれ」と言って下さるハコへの恩返しや義理果たしに 暫くは身を委ねます。遠くない将来に、またLIVEをご案内致します! 先を考えられるって嬉しいですネ! ありがとうございました♪どうかまた音楽でお逢いしましょうネ(^-^)/ 田野ユタカ |