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田野と素敵な仲間達の話−1
深野義和さん出会い 編
田野は人に恵まれています。本当にこれはありがたい事です。 財産であり、宝物であり・・・。なんと言っても最初にご紹介すべきは、 T−FM土曜日PM1:00からの「カウント・ダウン・ジャパン」で 皆さんにもお馴染みの、シンガー&ソングライター+作詞・作曲家の 深野義和さんとの出会い迄のエピソードから振り返ってみましょう。 東京家政大学学園祭・・・ 大学を卒業後、H自動車に就職して研修を終え、配属となって仕事にも慣れ始めた頃、 田野は例によって「物足らないぞ病」が出始めていました。 んな時に、学生時代から応援してくれていた女子大の方々が、自分達の学園祭に是非♪ と誘ってくれたお蔭で、また歌い出すきっかけを得ました。その学園祭を機に、都内の 有名LIVEハウスに出演するようになり、二度目の学園祭を経て彼女達にも 就職と卒業のシーズンが近づいた頃、彼女達の一人と偶然知り合った東芝EMIの ディレクターが会ってくれる事になりました。 東芝EMI〜五番街・・・ 洋楽部門の担当だったその人から邦楽部門の方を紹介され、そのディレクターさんから Kさんというレコードチェーン店「G番街」の専務さんに預けられ、しばらく 面倒を見て頂く事になりました。このKさんが、当時既に手掛けていた 「スイートコーン」という女の子のデュオは、この頃はもうデビューが決まっていて、 何と深野さんが当時いらっしゃった事務所の所属だったのです。 LIVEハウス「MARQUEE」・・・ デビュー前のプロモートで、彼女らは大小問わずにイベントをこなしており、 当時「マーキー」というLIVEハウスをレギュラーにしていた田野が、ジョイントLIVEを提案し、 国民の休日にあたるとある日の昼の部をブッキングしたのです。 当日、あの有名なオーナー「上野祐二」さんが、業界人にありがちな曜日感覚の欠如から、 リハ時間はおろか、開場時間になっても・・・来ません!お客様は続々と詰め掛けるわ・・・ 店は開かないわ・・・で、マーキーの入り口で田野は絶体絶命?のピンチ! 伝説の「ドア外」コンサートにて・・・ ここで田野が取った行動は、 @ビル内近隣の事務所系を廻り、しばらく騒がしくなる事にご了承を頂く Aゴザ、ビールケース等をかぎ集める Bスイートコーンを説得する・・・「このままここで生でLIVEをやろう!」 我々は開かないマーキーの前で、お客様をゴザやビールケースに座らせ、ドアの前で 足元からお客様の気配を感じながら、生音のLIVEを開始しました。 そうです。あの伝説の名LIVE 「ドア外コンサート」はこうして敢行されたのでした。 LIVEはほのぼのとしたとても素敵なものになりました。 終盤、客席に具合の悪かったお母さんの姿を見とめたキムちゃんが涙を零したのを見て、 危うく田野ももらい泣きしそうになりましたよ、ホント! そんな我々を後ろの方から優しく見つめるたれ気味の視線・・・そうです。 まさに我らが深野義和あにぃとの、それが出会いでしたぁ! つづく |