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田野と素敵な仲間達の話−5

佐藤房夫さんて誰だ?…編


 佐藤房夫さんて誰なんだろう?なんのことはない。
 田野の学生時代の親友で、学生時代に組んでいたデュオ・ユニット「葵」の相方…
 そして今でもかけがえのない友人です。



 ☆出会いは18歳!

 出会いは18歳で大学へ進学した時、
 旅好きゆえに入ったサークルで一緒になったのが出会いです。
 家も杉並同士で近く、高校もほぼお隣の都立校出身。
 そして互いの母校で軽音楽部の無責任(?)部長を務めた同士…
 我々はすぐに意気投合し、暇さえありゃギターをかき鳴らし、
 金さえありゃ旅の空ってな学生生活でした。
 自宅組だった我々は、先輩の下宿を訪ね歩き、
 ギターを弾いては曲を作ったり歌ったり、語り明かすような日々を重ね、
 我々が溜まり出すと先輩が下宿を追われる…というジンクスから、先輩達に嫌われ、
 かわいがられない…という寂しい(?)学生時代を互いに励まし合い(?)
 ながら過ごしたものです。フォッフォッフォッ!


 ☆喫茶「COTY」!

 出会ってすぐの夏、田野は近所の喫茶店で雇われマスターのバイトをしていたので、
 ここが溜まり場としての最後の砦でした。田野の入れるコーヒーはマズク…
 作るスパゲティは…う、う、食えたもんじゃないですから、見事に客足は絶え、
 カウンターに仲間しかいない日が多かったのです。ある日、旅の空で書いた詞を
 無造作にカウンターに置いていたら、突如彼が曲を付け始め、
 歌詞用に考えていなかったその詞にみるみる曲をつけていきます。
 唖然としつつ聞いてみると、「なんてイメージ通りの曲なんだぁ!」
 えらく気に入り、早々に二人で合わせてみます。「帰郷♪」の誕生です。
 それからお互いが高校時代に書き溜めた曲の披露合戦を始めました。
 なんて繊細で素直な良い曲ばっかりなんだろう…すごく刺激されました。



 ☆ユニット「葵」(=あおい)結成!


 ほどなく、バイトは(当然?)クビになりました(ヤッパリ 汗)。
 そして間もなく「古都♪」が誕生します。田野の曲作りが詞も曲も、
 高校の頃から大きく変化していった時代です。
 今日のベースを培った…と言ってもけっして過言ではありません。我々はその後、
 自分達の都合だけで好き勝手にコンサートをやる為に、新しいサークルを学内に立ち上げ、
 ユニットを組み、ステージに立ち始めます。
 名前を考えている時、たまたま学校のあった江古田で唯一の連れ込み宿の看板に
 「葵」という字をみつけ、ユニット名を「葵=あおい」とします(大汗)。
 後々、いろんな場所で名前の由来を聞かれると「京都の葵祭りから取りました♪」などと
 表向きのエピソードをでっちあげ、我々は曲を作りまくり、
 数々のコンサートをこなしました。



 ☆「学生時代♪」

 
このユニットは、大学時代の音楽活動の大半を占めました。
 他校の学園祭や、町のサークルのコンサートのゲストに呼ばれたりと、
 徐々に支持層も増え、ポプコンにも挑戦したりもしましたが、
 学生時代の終盤には自動的に自然消滅してゆきました。でもその間、
 我々は色々な所を旅し、色々な話をし、互いに恋も重ね、笑い合い、喧嘩をし、
 何かを必死こいて頑張ってみたり、何かに傷付いたり…
 そんな日々は「学生時代♪」という歌にもなりました。
 やがて学生時代は終わりを迎えます。卒業後は時々しか会えないけれど、
 会えばタイムスリップして「あの頃」のまんまです。
 それからもお互いの人生には本当に色々な事がありました。
 でも俺達は本質的にポジティブです。
 「あの頃は良かった」なんて話をしたことはない。あの頃を懐かしむ事はあっても、
 俺達にとっていつも問題なのは「今日」と「明日から」でした。
 実は真面目な二人です。



 ☆「背中合わせ♪」


 その後の田野は「深野義和さん出会い編」にある通りですが、
 「葵」で佐藤房夫さんが残した名曲の数々は、田野が詞をはめ込んで、
 今も歌い続けています。「背中合わせ♪」「夕暮れ♪」「ロッヂの風景♪」
 等がそうです。いつの間にかそれらの曲は田野ソングの代表作にもなっています。
 「田野さん!最も影響を受けたミュージシャンって誰ですか?」…
 なんてよく聞かれますが、そつなく幾人かのアーティスト名をあげる田野は、
 必ず最後に心の中で「そりゃあ、佐藤房夫だよ!」と呟いていますよ、きっと!
 佐藤房夫さんは、今でも田野のLIVEに年1〜2回は顔を出してくれます。
 さ〜て…どの人だか判りますかぁ?皆さん!意外と背中合わせかもね
(^^)/


つづく