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田野と素敵な仲間達の話−6

大橋渡さんて何だ?編



 大橋渡という後輩がいます。ライブハウス「MARQUEE」時代のつながりです。
 しょうもない奴です。でもなぜか、今でもかわいい後輩です。
 田野のお客様にはあまり好かれませんでした。それには理由も根拠もあるので、
 残念でも何でもなく、当然かとも思います。ただ、なぜ田野が今でも奴を気にかけ、
 可愛がるのか・・・を記そうと思います。
 大橋渡…あだ名はまんま、渡!芸名(?)WATARU!

 「MARQUEE(マーキー)」に出演し始めた頃、
 田野は都内のあちこちのライブハウスに並行して出演していました。
 今はもうありませんが、渋谷の東急ハンズの裏にあった
 「ヘッドパワー」という店に出ていた時、楽屋を尋ねて来た一人の若者がいました。
 20年近くも前の話です。「マーキーの上野さんに聞きました。
 この店(ヘッドパワー)に出ているアーティストがウチにも出てるって自慢してました。
 一度聴きたいと思ってました。」・・・それが渡との出会いです。


 奴は当時、元気とパワーの固まりのような勢いのあるアーティストでした。
 「すげえ奴がいるな・・・」正直に田野はそう感じていました。
 そのステージも面白く、作る歌の毛並は田野とはだいぶ違いますが、
 田野が大事にする「場面(シーン)のある歌」を作り、歌っていました。
 伸び盛りの真っ只中という印象で、あっという間にマーキーの看板になるだろう・・・
 と思いました。邪心のない、ほんとにピュアな奴だったので、
 人見知りの田野も不思議と慕われるうちに意気投合していきました。


 夢を語り始めた我々は、田野が懇意にしていた軽井沢の
 「ストーンペンション」さんのバルコニーで初のリゾートLIVEを企てます。
 この成功に気を良くした我々は、八ヶ岳高原にも拠点を求めて
 「とうごペンション」さんとも出会う事になり、ゲリラLIVEを敢行したり、
 イベントを打ったり・・・そうです。Diary「八ヶ岳1」につながっていくのです。
 つまり八ヶ岳の仲間達との大きな出会いのプロローグは、渡と一緒でした。
 そして当時はまだT京経済大学の学生だった彼の仲介で、
 「Night Wave」というバンドを彼の学友達と組み、弾き語りでもバンドでも、
 実際に色々なイベントをこなしていく事になりました。
 そう、渡は田野にとって、一緒に夢を追った戦友のようなものでした。


 その後、渡はある恋に破れ、そして少し荒れました。
 やがて卒業の時期を迎えた彼は悩んだ末、郷里の静岡で一度就職する事となり、
 田野が保証人となって(?)大手のレコード店に勤め始めます。
 小さな恋を重ねては破れ、喧嘩して手を骨折し、それでも月一回のマーキーの
 LIVEだけは、ギプスをしたままでも欠かさず出演し続けていました。
 出会った頃、次々と新しい面を出した新曲を作っていた彼が、
 この頃からスランプになりました。観客動員も減り、
 お客様が一人もいないLIVEもしばしばです。
 メジャー指向を公言して憚らない彼に、説得力が消えました。
 言動に奢りが出始め、勤めていたレコード店も辞めました。


 ただ、その頃には「どうした渡!お前はこんなもんじゃねぇだろ!」と、
 田野に思わせるに充分な歴史の積み重ねがありましたから、
 田野は奴を叱咤し続けました。
 やがて郷里で色々なイベントを企画し始めた彼に呼ばれ、
 田野も何度か静岡にギターを持って出向きました。
 地元TV局、LIVE HOUSE 、神社の櫓の上(?)、ホテル、ディスコ等、
 やがて静岡にもたくさんの思い出ができました。この頃、
 じっくり腰を据えた新しい恋を見つけた彼は、いい意味で安定してきました。
 バイトや工場の期間工をしながら、昔の勢いはないなりに、
 地道に音楽と向き合い始めたのです。


 それから随分と時が流れました。
 最近、彼のステージが少しずつ良くなっているように感じます。正直嬉しいです。
 田野は、どこかで大橋渡のファンなのかもしれません。
 出会った頃、脅威にさえ感じたパワーと歌唱力。明るくて前向きなキャラ。
 そしてなによりも作っていた曲の感性。
 ドジですけべで、しょーもない夢見る駄々っ子万年少年の大橋渡は、
 それでも田野の仲間の一人なんです。
 きっとそのうちまたどこかで奴と、対等にジョイントLIVEをやりたいな…。
 それまで・・・頑張れ!WATARU(^^)/

つづく