つれづれ日記
田野の日本紀行−12
沖縄編−後編
☆「海に独り♪」・・・本部
本部町のリゾートホテルに、出張帰りの週末を過ごす宿を取った。ツインの部屋しかない。
男一人で泊まるのは、あまり体裁のいいものでは・・・なさそうだ(汗)。
でもカレンダー的にはオフでも、常夏の海は綺麗で、かつ貸切状態だ。サンゴリーフの
遠浅の白砂のビーチに大の字になって浮いていると、空と海に同化してしまったかのような
陶酔感があった。海のなんとも大きい事か・・・空のなんとも雄大なことか・・・
自分の存在のいかに小さい事か・・・海に独り♪
ウインドサーフィンのスクールで一緒だった女の子2人組は、埼玉から来たと言っていた。
仲良くなったインストラクターと4人で夕食を取る事となった。
滞在中は彼等彼女等のお蔭で楽しかった。
でも大昔から絶えず翻弄され続けて来た琉球の歴史と哀しみが、絶えずこの美しい海や
空と共に存在すると話してくれたのは彼女達だった。
帰郷前日に女の子の一人がインストラクターと遊んでいたジェットスキーで怪我をした。
顔を切ってしまった彼女は、ショックで心も傷付いてしまった。
「後々親が騒がぬようケアしろ」とでも会社に命じられたのだろう。インストラクターは急に
金回りのよい接待を始め、心が欠落していくのを目の当たりにした。いい雰囲気だった2人は、
もう恋に落ちる事はないかもしれない・・・結局みんなが孤独になった。
世俗から最も遠いこの地で、世俗が垣間見えた?いや、違う。この一見平和な海には、
心を研ぎ澄まさなければ理解できない、醜悪な世俗の攻撃を受け続けて
来たもう一つの顔があった。帰郷後、灰谷建ニ郎さんを知り、貪り読んだ。
☆「朝を待ってる♪」・・・那覇
お気に入りのディスコ「ザバレス」は那覇タワーのビルの高層階にあった。
系列のラウンジが同じ階にあり、地元の知り合いがそこに連れていってくれたが、
12時を過ぎるとラウンジを抜け出して「ザバレス」へ踊りに行った。
ラウンジの早上がりの女の子も2〜3人ついて来ていたが、12時を過ぎて
観光客が帰った後のディスコこそ、本来の顔を見せ始めるのだと教えてくれた。
ここは沖縄に行って踊りたい時は必ず行った。もっといい所や面白い所があるとも聞いたが、
別に充分だった。基地の兵隊や、地元の遊び人達が集まるのもこの時間だ。
フロアは程よく賑やかで、お立ち台にはフィリピン人だというオカマのダンサーが踊る。
当時のジュリアナ姉ちゃん達より遥かに綺麗でセクシーでカッコよかった?
今はもうないんだろうなぁ・・・。
踊り疲れると、近くの国際通り裏のLIVEスポット「GIBSON」に流れる。
アコースティックブルースの老舗だ。オーナーご自慢のギターコレクションが店内に並び、
心得のある者にはそのギターを貸し、即興LIVEをやらせてくれる。泥酔しながらも
30分程の飛び入りLIVEをやった。客は皆背中を向けている。
つまらなければ邪魔はしない・・・よければ振り向いて拍手を送る。
感じた事のない緊張感に包まれるが、最後は拍手をもらった記憶がある。夜が巡っていく。
明け方の5時頃、外はもう明るい。舗道に腰掛け、仕上げの缶ビールを飲む。空が眩しい。
米兵が声を掛けてくれる。さっきGIBSONにいた奴だ。「Hi!」
彼も戦争の恐怖と背中合わせに日々を送る、心優しい大男なのかもしれない。
基地の兵隊達が多くの事件を起こす昨今だが、彼等全てが悪党な訳じゃない。
少なくとも、この国は二度も沖縄を捨てた。琉球の歴史は、いつだってこの国の都合で
翻弄されて来たんだ。沖縄の怒りは米国のみに向けられているのではない。
この国そのものに対する怒りだと知るべきだ。歴史でも過去でもない。それが今だった。
自分達を助けに来た筈の日本兵は、地上戦で洞窟に隠れた民に、敵に見つかるからと
泣き叫ぶ我が子の殺害を強いた。極限状態で脅されるままに我が子の首に刃物を入れる。
腕の中で血を吹きながら「え?お父さん…?」という驚きの目を向けて果てていった我が子。
その地獄を俺達は想像だに出来ない。更には捕虜になるくらいなら自害する事を強要した
お国の兵隊達に代わって、生き残った者達の命を救ったのは、皮肉にも彼等を発見した
米兵達だったのだ。この複雑で危うい共存とメンタルバランスの上で、
沖縄の戦後が決して終わっていないと思わざるを得ない。
☆「君がいた海♪」・・・伊計島
那覇から太平洋側に走り、少し北上すると、珊瑚リーフの地形のトリックで、
白砂で陸続きの島がある。その上に道路を渡し、車で平安座島に渡れる。この島は
石油の備蓄基地である。鉄道のない県内で消費するガソリンや発電に使う石油を備蓄する。
大量の石油タンク群はやや異様な風景で、景観的にはいただけないが、この島を走って
宮城島へ周り、橋を渡ると伊計島がある。慶良間でも八重山群島でもない、あまり人には
知られていない隠れ離島リゾートである。ここでは貸切のビーチもダイビングも思うままだ。
ここに来たら海に抱かれて素直でありたい。
姫ゆりの塔などを訪れたのは随分後になってからだ。本島の海でも南側の海は美しいが、
恩納あたりと違って人もリゾートホテルも少ない。かなり葛藤があったが、
田野は戦争の傷跡が今も生々しいその界隈を結局訪れた。言葉もなかった。
でも様々な事を知った。それは知らずにのうのうと「海が綺麗だぜ!」などと言って
沖縄を楽しむ輩の一人に終わるより、知ることが出来てはるかによかったと思う。
それで何がどう変わった?判らない。でも知った上で沖縄を好きでいたい。
それは誰かにしのごの言われる事だとは思っていない。田野の問題だ。
伊計島に行ったのはその後だ。
伊計島で激しいスコールに見舞われた。打たれるままに雨に濡れたその後、虹を見た。
心から沖縄が好きになったのは、この瞬間だったかもしれない。沖縄にも認めてもらえたような、
一人よがりでそう感じていた。涙が出た。美しい瞬間だった。
☆「首里の夜明けは♪」・・・首里城
琉球王朝時代の象徴である首里城跡へ行った。
ちょうどNHKの大河ドラマ「琉球の風」をやっていた頃で、当時の栄華を極力忠実に再現し、
リニューアルオープンした頃だ。悪くなかった。沖縄全土が見渡せるような高台にそれはあり、
遠き時代に思いをはせると、心地よく意識が遠のくような感覚があった。
「風が気持ちいい」と近くで誰かがいっていた。琉球の風は、確かに気持ちよかった。
何度沖縄を訪れただろう。基地の規模に圧倒され、台風の直撃に驚き、
人々の懐の深い優しさと、その奥に燻る哀しみと怒りと・・・。
琉球料理に舌鼓を打ち、古酒に酔い、海に抱かれてまどろんだ数々のビーチ。
田野の中の夏の風景にも数多く登場するかの地は、
今も歴史のツケと十字架とを背負いながらも、田野に優しく微笑みかけてくれているようだ。
おしまい
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