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つれづれ日記
田野の日本紀行ー20

東尋坊 編

 
 18歳の夏に、福井県の東尋坊に滞在した事がある。2週間程YHのヘルパーをしていたのだ。
 大学に進学して旅のサークルに入ったはいいが、夏休み早々に訳もわからず、
 芦原温泉の駅に来るように言われ、汽車を乗り継いで到着すると迎えの車に乗せられた。
 ペアレントさんご夫婦と、3人の子供達、先乗りしていた4年生の先輩と
 一つ年上だが同級生の女の子とで、ヘルパーとしての一つ屋根の下での生活がスタートした。
 しかし数え切れない程旅をした中で、初めての北陸紀行であったにも関わらず、
 この時の旅での記憶は何故か混沌としている。先乗りの二人が家族に馴染んでいる中で、
 遅れて来た自分は借りてきた猫のようで、多少お邪魔?感を覚えながらの生活だった(笑)。

      

 休日には名勝「東尋坊」に出掛ける。断崖絶壁の身投げの名所と聞いていたが、
 どうしてどうして、大きくてカラッと明るくて本当に美しい所という印象だった。
 草原がゆったりと広がり、そこそこの数の観光客は思い思いの場所に散っている。
 日本海に本格的に触れたのもこの時が初めてだ。夏の景色に錯覚するが、
 太平洋の持つ開放感とはどこか対角線な影が漂う気もした。でもとても綺麗で美しい海・・・
 身投げを思い留まらせる様々な看板の呼掛けが、この光景からは不釣合いに思える。
 う〜ん、のんびり〜♪

   昔々越前平泉寺に東尋坊という稀代の暴れん坊の悪僧がおり、
   民へも極悪非道の限りを尽くして手を焼いていたそうな。
   同じ平泉寺の僧侶である真柄覚念と、在の美しい姫への恋情をめぐっても対立したが、
   ある日真柄覚念が名勝奇岩の断崖上で宴を開き、表れた東尋坊をしこたま酔わせ、
   千鳥足になったところを真柄覚念が断崖絶壁の下に突き落とし、民に感謝されたとな。
   しかし姫への恋慕が勝っていた事を見抜いていた東尋坊の祟りか、49日も嵐が続いた。
   以来毎年4月5日には東尋坊の怨念が雷雲に乗って嵐を連れて来ると言われ、
   いつしか名勝奇岩の断崖は「東尋坊」と呼ばれるようになった・・・
との伝説が残る。


 確かに自然が作り出したその景勝は壮大で素晴らしかった。
 伊豆の城が崎とも紀伊の三段壁とも違う気がする。独特であった。
 飛んだら気持ちいいかも・・・おっと、危ない危ない!というくらい魅力的な場所である。
 映画やTVで見た事のある、風の吹き荒ぶ冬の光景を想像すると、不思議な感覚だった。

   越前と言えば、やはり美味しい物の宝庫である。
   やはり蟹!そして海老!更には回遊してくるブリや鮪等の刺身の高級魚!
   越前蕎麦もそそられる!民芸品でも水上勉の小説にもなった越前竹人形が有名だ!
   歴史有る芦原温泉での温泉三昧も悪くないぞ!魅力溢れる東尋坊滞在♪

 ・・・の筈だった?しかしこの休日以外は移動の足もないし、仕事も忙しくて、
 YH周辺以外に外に出る事もなかった。食事も当時のYHの範囲内だったから、
 蟹も海老も刺身も食べていない。越前蕎麦の代わりに昼はいつもそうめんだった。
 竹人形なんて見た記憶もない。温泉なんざ全く縁がなかった・・・何だったんだ?
 いや、でもただ一つ、お母さんが作ってくれた茄子の唐揚の甘味噌和えの、
 何と素朴で美味しかった事よ!それがあれば御飯が何杯でも食べられた。
 作り方を教わって帰ったが、再現出来ていない。今でも時々無性に食べたくなる。
 でもそれが、田野にとっての越前の家庭の味であり、それだけで十分だった気もする。

 少し慣れて退屈し始めたある日、京都の有名女子大の、同じ旅のサークルの一行が来た。
 彼女達は我々ヘルパーともほとんど会話を交わさず、自分達でミーティングを始めた。
 キャンドルが配られ、その一本一本に火を灯す役回りをやっていた一回生らしき子は、
 無口で寡黙そうだが、こちらにとても気を使ってくれているのが判った。火を使う事や、
 その後始末の事を言葉少なに説明し、了解を得る。申し訳なさそうな目をする。
 有名お嬢様学校の生徒さんは、あまり外部との接触を好まない様子だったが、
 彼女の存在のお蔭で、我々は誰も嫌な思いをする事もなかった。

 就寝前、受付に彼女が尋ねてきた。お風呂上がりらしく、洗い髪がまだ渇いていない。
 う〜ん、色っぽいかも♪先輩達に言われて、周辺の観光案内を訊きにきたのだ。
 残念な事に田野は東尋坊以外を知らない。やはり事前に周辺を旅しとけばよかったぁ〜。
 必死に地図を調べて情報を提供したが、自分の目と肌で感じてないので説得力は0だ。
 でも彼女は熱心に聞いてくれているので、こっちもつい一生懸命になってしまう。
 いつしか地図の上で顔と顔が近付き、会話の合間に目が合って笑みが零れたりした。
 それ以上どうという事でもないのだが、印象的な優しい時間だった。

 2泊していったそのグループの中の、その子が唯一覚えている旅でのふれあいだった。
 余談だが、二年後にサークルの渉外局長となった時にこの女子大のサークルも訪ねたが、
 彼女の姿はなかった。ちょっとがっかりした記憶が、今は他愛のない思い出だ。

 二週間滞在した東尋坊での生活は、あっという間に終わった。
 しかし18歳の夏、福井の東尋坊で過ごした事を思い出す時、鮮明な海と空の記憶と共に、
 ぼんやりとその子の顔と、茄子の唐揚の味とが印象深い。
 更には「旅には絶対に足」という確たる思いがついて廻り、以来車の旅が圧倒的になった。
 でもペアレントさんご夫婦の暖かい笑顔と、子供達の元気な顔は懐かしい。
 そして同僚の二人はそれを境に付き合い始めた。ん?やっぱお邪魔だったんじゃん?
 ひえ〜!!!



                                               おしまい