Information Gallery plofile Link BBS Song List Q&A Home


つれづれ日記−17


ジャカルタ通信 編

 
 2006年を振り返る時、忘れ得ぬ経験として、インドネシアの訪問がある。
 初めて赤道を越えて、南半球の国を訪れた。
 特に書きたてるような事があったワケではないが、つれづれに綴ってみよう。

 JALのビジネスクラスは、欧米線がいいと聞く。最新機は必ず欧米便に投入され、
 古い機体が東南アジア便に廻ってくるらしい。インドネシア便は古いん?
 確かにエールフランス機や、スカンジナビア機に比べ、日本の航空会社として
 期待したビジネスクラスのシートに「え?」と思ってしまったけど、
 まぁ片道約7時間。時差もさしてないのだから、いいっか♪でも何で?
 いつだってこれらの国々は支配・殖民と差別の中で、歴史を刻んできた。
 でも今、この国は底知れぬ可能性の中で、世界に注目されているのだ。

 2006年4月。ひょんな事から一週間、インドネシアを訪れる事になった。
 インドネシアといえば最近スマトラ島沖地震の大津波で多大な被害を受けた国。
 そして帰国後もジャワ島地震で被害を受けた。
 ビーチリゾートで名高い「バリ島」ではレストランが爆破され、
 観光客をも巻き込んだ無差別テロの標的ともなった。

 大小の幾つかの島々から成り立つこの国は、島国とは言え広大な国土を有す。
 首都「ジャカルタ」は、2番目に大きなジャワ島の北東にある。
 人工2億人は凄い。マレー系住民が9割、華僑(中華)系住民が1割を占め、
 利権の多くは華僑の住民が握っていると聞く。
 歴史の授業で習った東インド会社といえば思い出すが、
 永くオランダ領としてその統治下にあった為、オランダ文化を微妙に垣間見る。

 複雑な歴史と民族と宗教が入り組んだ混沌の国「インドネシア」。
 厳戒体制の中、アジアではサイパンに続いて2ヶ国目の異国に降り立った。
 湿気でムッとし、暑い。迎えのドライバーとすぐに合流し、T社製の車でホテルに出発。
 面食らったのは、車間距離の狭さ、卓越した割込み技術、クラクションの使用頻度だ。
 う〜ん、日本の駐在員達は運転を禁じられていると聞いたが・・・納得。ムリ!

 この国の駐在員は、若くても必ずお抱え運転手とメイドを抱え、
 郊外のプール付の広い家に住むそうな。映画みたいだなぁ。
 
アジアの幾つかの国では今もそうらしい。ひゃ〜!俺には似合わん!
 すんごい渋滞だ。排気ガスもスゴイ。埃っぽいアジアの大都市「ジャカルタ」は、
 貧富の差をまざまざと見せつける。町には屋台が多く出ており、
 何を売っているのかよく判らないが、必ず人がとっついて群れている。
 そうかと思えば最新鋭の高層ビル群やお洒落な町並が姿を現す。

 「MULIA」という高層ホテルの上層階に部屋はキープされていた。
 ヒルトン等外資系のホテルはテロの対象となりやすいので、地元資本の
 最高級ホテルを取ってくれたとのこと。ハッキリ言ってかなりのハイグレード。
 キングサイズのWベッドがツイン。オフィス風のデスクからソファー。テーブルには
 ウエルカムフルーツ。クローゼットからバスルーム迄、全てが広くて清潔。大満足だ。

           

 その代わり(?)外出は危険との事で控えるように通達が出ており、
 ホテルに入る車や荷物は必ず検問を受ける。ホテルに入るのも再度検閲される。
 これはどこに行っても、テロの厳戒体制化では仕方ない。
 しかしこのホテルの中だけで、衣食住から音楽、ダンス迄全てが賄えるのも事実。
 朝起きて、ジャカルタ市街が見渡せる部屋からのその景観は、今も記憶に鮮明だ。
 日本代表も試合をしたサッカー場やテニスコート。高層ビル群やゴルフ場。
 その合間に富裕層の居住地区や貧困層の居住地区が点在する。独特であった。

                

 翌日から仕事。ディストリビューターのビルは綺麗なオフィスビルだ。
 現状把握・・・、問題点抽出・・・、改善点考察・・・、戦略立案・・・
 着々と駒を進める。地元のディストリビューターはこの国で高学歴のエリート達。
 プライドも高い。しかし結果が出ない以上、何処かに要因があり、そこを変えないと。
 メーカーからのスペシャリストに対する羨望と憎悪の目線を、この一週間で
 友愛と信頼に変える・・・言葉の壁を超えて人とつながる・・・それらは音楽と一緒だ。
 最大の集中力と緊張感で望む
激しい攻防の会議。時差ぼけや睡眠不足は命取りだ。

 初日が終わる。明日からは彼等と現地現物でマーケットリサーチだ。
 車窓から見えるジャカルタの町並。とにかく人が多い。
 路傍に、中央分離帯に、何をするでもなく、なぜか人がいる。
 ホテルの日本食レストラン。生物や水は要注意と言われていたので、
 刺身や寿司は敬遠したが、中々美味。少し疲れた。爆睡。

                 

 翌日は地元のディーラーを訪問。情報データ管理の実態を調査。
 皆誇り高く、プライドを持って仕事をしているのが伝わる。
 この時期のジャカルタは、必ず夕立がある。上空俄かに暗転し、稲光の閃光が走る。
 庶民層地域では、必ずこのスコールが大きな水溜りとなり、車の走行もままならない。
 道路事情も地域で落差がある。下水道の整備もまだまだこれからなのだろう。
 この日の夜はイタリアン。イケテル。ワインも美味で雰囲気もいい。欧米人もチラホラ。

 次の日は、市場を視察。トラックが活躍する典型的な現場だ。
 すんごい臭いだ。肥料?埃っぽい。でも人々は意にも介さず仕事に励む。ん?
 怠けてる奴も多い?さすが南方の国。人々はあくせくしてない。
 この日の夜は中華。華僑の住民が多いせいか、美味&納得。火の料理は安心だ。
 だが昼に食ったインドネシア料理「ナシゴレン」は美味♪日本人向きだ!

           

 翌日はボディービルダーを訪問。地元に密着した町の業者は、気のいいオヤジ。
 仕事に誇りを持っている。地元の顧客情報から嗜好までをよく知っている。
 ランチは郊外の湖の辺の屋外レストラン。椰子の葉の屋根の木造のテラスが
 湖面に張出していて中々いい雰囲気だが、淡水魚の料理はイマイチかな?(笑)
 午後は大手の業者も訪問。日本のメーカー筋から人が来ると、彼らは嬉しいようだ。
 この国のおもてなしは、お茶ではなく、「水」。とにかくミネラルウオーターが貴重品。

 この日の夕食は、初めて町に出ての焼肉三昧。美味♪
 その後、カラオケに連れて行かれた。適当に歌う。ウケル?そりゃ当たり前だ!
 日本にいるインドネシア人の友人に教わったジャカルタのディスコに行きたかったが、
 危険だからと連れてってはもらえなかった。残念〜!!!
 観光などの暇は全くない出張。町に触れた唯一の機会は、ニンニク臭かった。

 最後の日はまとめの会議。このビルからの景色にも見慣れた。
 インドネシアの休日に当たったこの日、働いているのは日本人だけだ。
 その後、ショッピングの時間を取ってくれた。家具や小物を見るのが楽しみ。
 でも有名処を丹念に廻ってくれたが、この国の商人達はうるさい。
 まつわりついて、ウザくてゆっくりは見れない。最も静かだった店員の店で
 多少の買い物はしたが、辟易した。でもこれがアジアの混沌と活気。
 このハングリーなパワーと有り余る労働力と、まだ未開の豊富な資源が、
 いずれ経済でもこの国を大きく化かさせるのかもしれない。

 夜のフライトなので、市内の日本料理屋・・・というか、居酒屋へ!懐かしい♪
 お馴染みのメニューに舌鼓を打ち、ほろ酔いで少し歩く。
 人々がバチバチメンチを切って来る。同行の方に促され、車に戻る。
 超ショートな車間距離にも慣れ、クラクションの嵐が心地よい旋律に聞こえた。
 活気あるアジアの大都市「ジャカルタ」。椰子の木並木のハイウェイを、
 車の灯かりが揚々と流れていく。雑然と混沌の中で生きている人々。
 この南の国に、平和で衛生的な豊かな時代を齎す為に仕事をしたいものだ。
 夜間飛行の窓から見えたジャカルタの街灯かり。この中で人々は今夜も、
 狂喜乱舞の営みを繰り返しながら、一攫千金の夢に酔いしれるのだろうか?
 さらば、ジャカルタ♪

  おしまい